この生誕秘話は、8月31日発売予定の『198Xのファミコン狂騒曲』(SBクリエィティブ)から 『オホーツクに消ゆ』関連の挿話だけを抜粋し、筆者自ら加筆・修正ののち再構成したものです。
『198Xのファミコン狂騒曲』より
塩崎剛三〈東府屋ファミ坊〉
(前回までのあらすじ)
『オホーツクに消ゆ』の次回作として企画された『九龍の牙』と『白夜に消えた目撃者』。堀井さんと僕は、この2つのゲーム企画を実現すべく、香港とソビエト連邦に取材旅行を敢行する。
ツアーから半年後に、なんと任天堂からファミコンカートリッジロム容量アップの発表が。
ロム容量が増えれば、『オホーツク』の絵を全カット表示することも可能になる。僕も堀井さんも『白夜に消えた目撃者』を作る気満々で、意気込んで日本に帰ってきたんだけど……。
『オホーツクに消ゆ』の次回作として企画された『九龍の牙』と『白夜に消えた目撃者』。堀井さんと僕は、この2つのゲーム企画を実現すべく、香港とソビエト連邦に取材旅行を敢行する。
ツアーから半年後に、なんと任天堂からファミコンカートリッジロム容量アップの発表が。
ロム容量が増えれば、『オホーツク』の絵を全カット表示することも可能になる。僕も堀井さんも『白夜に消えた目撃者』を作る気満々で、意気込んで日本に帰ってきたんだけど……。
※
『オホーツクに消ゆ』[1]のファミコンへの移植話がアスキー[2]の上の方から持ち上がってきたのは、85 年の暮れのことだった。
もちろん僕だってそうした可能性は常々考えていたけれど、いかんせんファミコンのカートリッジは容量が少なすぎた。『オホーツク』の場合、80枚以上の1枚絵の表示が必須で、それをどのくらいのクオリティーでできるかが問題なのだ。
そのときの判断では、当時のファミコンカートリッジで表現するにはまだまだ無理があった。現状512Kビット[3](半年後に発売される『ドラクエ』[4]と同サイズだ)。それだと、入っても30枚ちょっとだ。
絵のクオリティーを落とすのか、それとも絵自体を減らしていくのか。
年が明けてすぐに堀井さん[5]と相談した結果、無理だね、という結論になった。他のゲームたちと違って、アドベンチャーゲームは絵が命だ。とくに『オホーツク』の場合、パソコン版のときにグラフィック表現に関してそれなりに高い評価を受けていて、その部分のクオリティーを下げることなど、できるわけがなかった。
グラフィックの多さとそのクオリティーの高さは、このアドベンチャーゲームの生命線だった。
ツアーから6か月ほどたった86年の2月には、『白夜に消えた目撃者』[6]のシナリオの第1章第1稿が完成してきた。堀井さんと僕とゲヱセン上野[7]の3人は、ソビエトツアー[8]から帰ったすぐ後の、85年の10月から毎月のようにミーティングを重ねていたのだった(ゲヱセンはいつのまにか、『白夜に消えた目撃者』のメインプログラマーに決定していた)。
第1章の原稿を編集部まで嬉々として持ってきた堀井さんは、開口一番に、
「どうよ?」
「いいじゃないですか、これ。かなり面白そうだ」
「じゃあ、1章をもう少し推敲してから、2章に取りかかるね。2章からが本番だから。時計の要素も入ってくるし」
そんなときに、前述の任天堂発表がある。なんと、ロムサイズが大幅にアップするらしい。容量は2倍の1メガビット(1年後に発売される『ドラクエⅡ』[9]と同サイズだ)。それなら、60枚以上入ってしまう。一気に風向きが変わった……。
あわてて、僕は堀井さんに電話した。もしその気になれば、ファミコンへの移植が物理的に可能になったのだ。やるのか、やらないのかを決めるだけだった。
もともと僕も堀井さんもファミコン移植には興味があって、できればやりたいというスタンスだったのだ。ロムサイズが足りないという大前提はあったものの、もし可能ならこうするよねと、2人の打ち合わせのときに移植のシミュレーションはかなり詳細にやっていた。
だから、唐突にこんな衝撃的な発表を聞くことになっても、そんなには動揺はしなかった。1メガビットのサイズは『オホーツク』にとって十分な容量とはいえなかったが、テキストやグラフィックの圧縮をうまくやれば、決して無理難題ではない。
堀井さんもちょうど『ドラクエⅠ』の開発が終わったときだったから、『オホーツク』移植に取りかかる余裕はあった。短い相談の上、ファミコン移植の方を取ることにしたのだった。
問題は、今1章ができたばかりの『白夜』をどうするかだった。堀井さんが嬉々として持ってきた第1章のシナリオ草稿には、すでに15 人のツアー客が所狭しと登場しまくっていて、個性たっぷりな会話を繰り広げていたのだった。
ツアコンの中野くんもいるし、女子大生のなおよちゃん風の女の子までいる。意味深な大学教授夫婦が、それっぽい伏線を引いている。これから物語が面白く展開していくのは、明白だった。
次の2章、ツアー2日目。いきなりサマルカンド[10]で起こってしまう殺人事件。ソ連当局による捜査が始まり、それでもツアーは疑心暗鬼のもと、再開してゆく……。
原稿用紙30枚ほどのその1章、そしてすでにプロットが出来上がっている2章以降を凍結してしまうのは、あまりにも不憫だった。
開発するファミコン版は『白夜に消えた目撃者』ではだめなのか。堀井さんとは、何回も話し合うことになる。
「『白夜』でもいいよ。でも、『白夜』の場合、新しいことをけっこうやりたいので、時間はまあまあかかる。企画自体がまるまる新しいからね。時間の概念があったり、やり直しのシステムがあったり(『白夜』はそれまでのアドベンチャーと違って、手に入れた捜査の情報が十分でなかったとき、そのたびにツアーのX日目からやり直せる、というシステムをとろうとしていた)、すぐに完成させるのは無理だよ。『オホーツク』だと元があるから、年内にはなんとかできるけど。『白夜』だとさらにあと1年かかっても不思議じゃない」
会社は年度内の売り上げを渇望していたし、選択肢は残されていなかった。
1年ならまだなんとかなるかもしれないが、それ以上遅れる場合は危険だった。
「『白夜』は諦めて、『オホーツク』を作ろう! ボクの方は、これから『ドラクエⅡ』が佳境に入ってくるから、3つの同時進行は、とうてい無理だし」
もし、ファミコンをやらなければ、おそらく確実に『白夜』は世の中に出ていた……。15人のツアー客が醸し出す、まったく新しいミステリーになるはずだった。
でもその場合、ファミコン版の『オホーツク』は存在していなかった……。さて、どっちがよかったんだろう。
※
『オホーツク』ファミコン版を作るに際して、シナリオを大幅に変更することにする。何回もプレイすると、やっぱりそれなりにストーリーのあらが目立ったし、なにより2万本弱のパソコン版と違って、ファミコン版はその10倍から20倍、もしかしたらもっとすごい数のユーザーの手に渡ることになる。さらに作りこまないと。
堀井さんはコマンドの不統一が気になっていたらしく、全部洗いだしてうまいシステムを作りたいという。ヒロインの真紀子をもっとフィーチャーして、真紀子の友だちも作りたい。ストーリーラインから外れた登場人物のセリフたちも、豊富すぎるパターンを持ちたい。いろいろイジるところはありそうだった。
「早稲田のマン研の後輩に手伝ってもらっていいかな」
堀井さんが『オホーツク』改変の助っ人に選んだのが、今後僕のゲーム開発の常連になっていく柳澤健二さん、通称ヤナケン[11]だ。ヤナケンの加入によって、改変『オホーツク』のシナリオ第1稿は、ほぼ6か月後の11月末で終了した(ヤナケンとはこれが初めての付き合いだったが、その後『いただきストリート』[12]、『いただきストリート2 』[13]、『タワードリーム』[14]、『天空のレストラン』[15]など、僕が関わったゲームたちほぼ全域で活躍してくれることとなる)。
『オホーツク』をファミコンに移植するにあたって、やらなければならないことは他にもいくつかある。グラフィックを一新させることも、タスクのひとつだった。
パソコン版は突貫仕上げだったし、都合5機種で発売されていたが、マシンごとの性能差も激しかったので、それぞれのグラフィックのタッチには統一感がなかった。堀井さんも僕も、そのあたりは十分すぎるほど気にかかっていたのだった。
「荒井さん[16]はどうだろう?」
「もしかしたら、荒井ちゃんの真紀子はいい感じになるかもしれない」
堀井さんと何回も相談をして、背景も含めすべて荒井ちゃんのタッチで再構築してもらうことにする。ファミコン版は、新たにヒロインも増えて、重要人物も多くなる予定だった。
思い入れのあるキャラがいっぱい出てこなくては、遊び手はストーリーに引き込まれない。最重要人物たちに関しては、しつこいほど堀井さんと表情や大きさ、カットを確認していく。
もう一つのタスクはBGMだけど、すでにゲヱセン上野には何曲か創ってもらっていた。当時のファミコンゲームには、それほど多い曲数の劇伴を使用している例はなかったけど(『ドラクエ』だけは、すべてのシーンにおいて贅沢な劇伴使用だった)、堀井さんの火曜サスペンス劇場[17]を具現化していくうえで、ストーリーを盛り上げていくBGMは絶対必要だったのだ。
なので、1章から5章までそれぞれの章テーマを用意し、それとは別に、主要人物にテーマ曲をあてがった。そして、重要シーンにも専用BGMを流すことにする。必ずストーリーと一体化するはずだ。
他にもファミ通編集部から、どんどんスタッフを流していった。
タイトルロゴや広告ページ展開でサイバー佐藤[18]、ゲーム中のフォントデザインは、TACO.X[19]が「僕がやります!」と立候補してきたので、彼にゆだねることにする。
秋から暮れにかけて堀井さんは『ドラクエⅡ 』にかかりっきりだったので、僕たちは僕たちで粛々と進めていった。基本的にはヤナケンの修正を堀井さんにチェックしてもらって、荒井ちゃんの新グラフィックと合わせながら、細部の確認を進めていく。
『白夜』に比べれば、明らかに早い仕上がりスピードだった。
そんなとき、アスキーのHSP事業部[20]から、吉報が届いた。なんと、もっと大きいロムサイズの2メガビットが可能になるという。おおっ! そいつはすごいっ!
堀井さんと相談して、さらにストーリーを膨らますことにする。完成していくシナリオやグラフィックを見ていて1メガに入るかどうか不安を感じていたところだったので、それが2倍の容量に増えるのは、堀井さんにとっても僕にとっても、実はものすごく好都合だったのだ。
「でも、追加ストーリーに力入れすぎると、3月は無理っぽいね」
その堀井さんの言葉通り、発売日が少しだけ延びてしまった。ストーリーとグラフィックの増加対応で、かなりスケジュールがタイトになったせいだ(もっとも、最初から容量は超過気味だったので、今回のロム容量アップでの増加分は、今までの超過分を差し引くと、せいぜい1メガの半分ちょっとだ)。なので、当初のスケジュールを守るのは、まあとても無理だった。
「2、3か月は延びそうかな」
小島さん[21]にだけ報告しておく。藤井副局長[22]は、どんな顔をするだろうか。
でも、どんなに渋い顔をされたところで、1メガに戻す選択肢は、もうないのだった。
年末になってようやく『ドラクエⅡ 』も終了したみたいで、堀井さんはちょくちょく『オホーツク』に参加してくれるようになった。ちょっと前に完成したアルファ版を見ながら、ああでもない、ここを直さなきゃ、といっぱい注文を付けてくる。今まで放置気味だったので、この堀井さんの本格参加は僕には嬉しかった。
ロム容量が増えて、スケジュールは押してしまったけど、開発ピッチは一気に加速した。
年が明けて『ドラクエⅡ 』が発売。僕はせっかくの『ドラクエⅡ 』もまともに遊ぶことができないまま、『オホーツク』最後の追い込みのため、小田急線の百合ヶ丘の新築のコーポに「開発室別宅」を作ってもらって、そこで開発生活に従事することとなる。
新築コーポで生活を送った面々は、グラフィックを描いてくれた荒井ちゃん、デバッガーとしてのアルト鈴木[23]、音楽とデバッグのゲヱセン上野、それと僕、たまに堀井さんだった。
歩いてすぐのビルの中には『オホーツク』を開発しているソフトハウスがあって、プログラム担当の中島くんとロムのやりとりや変更シナリオのやりとりが毎日頻繁に行われていた。堀井さんが来るたびにシナリオ変更が入ったし、出来上がりの絵を見るたびに、荒井ちゃんの変更作業が入った。
伝説となっためぐみのヌードシーン[24]も、そんな環境下で突如決定したシーンだ。そのためのシナリオ変更を、堀井さんはあっという間にしてしまった。
「めぐみのバスタオル、取ってみたいよね」
「ゆう坊、だめだよ。荒井ちゃんが本気にするから」
「だいじょうぶだよ、そのくらい。ユーザーサービスだよ」
「えー? 本当に脱がせる気?」
「そのくらいやろうよ。見るためには、いっぱい待たなきゃだめなんだし。みんなね、嬉しいことのためだったら、何でもするんだよ。何分だって待つんだよ」(これは僕が好きな、堀井さんの名言の一つだ。堀井さんのゲーム作りにおけるポリシーだ)
約2か月の合宿生活が終わり、4月中旬に『オホーツク』は無事に完成する。
僕は夕方の編集部に戻って、ファミ通スタッフの女子たちに、バグチェックを兼ねてテストプレイをしてもらった。彼女たちの表情を盗み見ながら、ゲームの完成度をおもんぱかる。いけるだろうか。
受注が終わって、初回本数は30万本。なかなか予想を超える数字を取ってくれた。
そして、2か月後の6月下旬に『オホーツクに消ゆ』は無事発売された。まあまあのスマッシュヒット。売り上げは10億を超えて、十分に会社に貢献することとなる。
でもこのスマッシュヒットこそ、消えてしまった『白夜』の代償なのだった。
※
(連載を終えて)
6/26より好評連載させていただいた「オホーツクに消ゆ・生誕秘話」(全5回)は、今回で終了です。
このエピソードの続きや、別エピソードをご覧になりたい方は、8/31発売の拙著『198Xのファミコン狂騒曲』(SBクリエイティブ)をぜひご一読ください。
約2か月の間ご愛読いただきまして、本当にありがとうございました。
併せて、9/12発売の『オホーツクに消ゆ~追憶の流氷・涙のニポポ人形~』もよろしくお願いいたします。
[1]『オホーツクに消ゆ』
1984年発表の堀井雄二作のアドベンチャーゲーム。ログインソフト第1弾。コマンド選択式を初めて採用し、『ポートピア連続殺人事件』、『軽井沢誘拐案内』とともに、堀井ミステリー三部作と呼ばれている。
[2]アスキー
1977年設立のコンピュータ系の出版社。初代社長は、郡司明郎さん。
[3]512Kビット
ビット(bit)はバイト(bite)の8分の1。つまり512キロビットは64キロバイト。
[4]『ドラクエ』
『ドラゴンクエスト』の短縮形愛称。堀井雄二作。言わずと知れた、日本発ロールプレイングゲームの金字塔。
[5]堀井さん
堀井雄二さん。『ドラゴンクエスト』シリーズの作者として、あまりにも著名。愛称は「ゆう坊」。
[6]『白夜に消えた目撃者』
1985年に企画されたその新しいゲームは、時間が動く、次世代のリアルタイムアドベンチャーになる予定だった。
[7]ゲヱセン上野
上野利幸くんの愛称。ゲーマーであり、プログラマーであり、編集者であり、作曲家でもある。彼とは長い付き合いになった。
[8]ソビエトツアー
堀井さんは「シベリア鉄道殺人事件」をアイデアとして持っていて、それを実現するべく、ソビエトツアーに行こうということになった。
[9]『ドラクエⅡ 』
ゲームを手に入れるために徹夜する人まで現れた、1987年発売の「ロト三部作」2作目。
[10]サマルカンド
現在のウズベキスタンにある都市。かつてのシルクロード交易の中継地点として栄えた古都。
[11]ヤナケン
柳澤健二さんの通称。『ドラクエⅠ』、『Ⅱ』、『Ⅲ』のシナリオスタッフでもある。フラグ管理を含んだキャラメッセージの作成、調整が当時のヤナケンの守備範囲だった。
[12]『いただきストリート』
1991年発売の堀井さんゲームデザインのボードゲーム。株のインサイダー取引は、画期的システムだった。
[13]『いただきストリート2』
1994年発売のパート2。BGMは筒見京平。このゲームのために30曲以上が書き下ろされている。
[14]『タワードリーム』
1996年発売の、吸収合併を繰り返すボードゲーム。いくつもの会社が乱立して、会社同士が接したときに、弱小の方が潰れていく。
[15]『天空のレストラン』
2000年発売の、素材を集めて料理を完成させていく戦略ボードゲーム。素材次第では闇料理になったり、天空料理になったりする。
[16]荒井さん
本名、荒井清和、愛称、キヨマー。『オホーツク』のグラフィックデザインや『いただきストリート』のキャラクターデザインを担当。
[17]火曜サスペンス劇場
1981年から日本テレビ系でスタートした2時間枠のサスペンスドラマ。通称、火サス。第1回放送は、松本清張の『球形の荒野』だった。
[18]サイバー佐藤
佐藤英人さん。桜玉吉の親友。『ファミコン通信』スタート時からの制作デザイナー。
[19]TACO.X
二木康夫くん。以前はゲームフリーク所属。ゲームの腕も立って原稿も書ける、『ファミコン通信』の貴重なスタッフ。
[20]HSP事業部
この頃アスキー内のコンシューマーゲームを扱う部署が、こんな部署名に名称変更していた。
[21]小島さん
小島文隆さん。月刊ログイン3代目編集長、ファミコン通信初代編集長。2015年没。
[22]藤井副局長
藤井章夫さん。当時の出版局副局長。長い間アスキー出版局を支えた長老的存在。出版界では卓越した経験と人脈を持つ。
[23]アルト鈴木
ログイン時代からのゲーマー兼編集者、鈴木弘明くん。『オホーツクに消ゆ』では、最初から最後までデバッガーに徹してくれた。
[24]めぐみのヌードシーン
『オホーツクに消ゆ』のヒロイン・中山めぐみが、和琴温泉でバスタオルを取って、ヌードを見せてくれるという裏コマンドがあった。
1984年発表の堀井雄二作のアドベンチャーゲーム。ログインソフト第1弾。コマンド選択式を初めて採用し、『ポートピア連続殺人事件』、『軽井沢誘拐案内』とともに、堀井ミステリー三部作と呼ばれている。
[2]アスキー
1977年設立のコンピュータ系の出版社。初代社長は、郡司明郎さん。
[3]512Kビット
ビット(bit)はバイト(bite)の8分の1。つまり512キロビットは64キロバイト。
[4]『ドラクエ』
『ドラゴンクエスト』の短縮形愛称。堀井雄二作。言わずと知れた、日本発ロールプレイングゲームの金字塔。
[5]堀井さん
堀井雄二さん。『ドラゴンクエスト』シリーズの作者として、あまりにも著名。愛称は「ゆう坊」。
[6]『白夜に消えた目撃者』
1985年に企画されたその新しいゲームは、時間が動く、次世代のリアルタイムアドベンチャーになる予定だった。
[7]ゲヱセン上野
上野利幸くんの愛称。ゲーマーであり、プログラマーであり、編集者であり、作曲家でもある。彼とは長い付き合いになった。
[8]ソビエトツアー
堀井さんは「シベリア鉄道殺人事件」をアイデアとして持っていて、それを実現するべく、ソビエトツアーに行こうということになった。
[9]『ドラクエⅡ 』
ゲームを手に入れるために徹夜する人まで現れた、1987年発売の「ロト三部作」2作目。
[10]サマルカンド
現在のウズベキスタンにある都市。かつてのシルクロード交易の中継地点として栄えた古都。
[11]ヤナケン
柳澤健二さんの通称。『ドラクエⅠ』、『Ⅱ』、『Ⅲ』のシナリオスタッフでもある。フラグ管理を含んだキャラメッセージの作成、調整が当時のヤナケンの守備範囲だった。
[12]『いただきストリート』
1991年発売の堀井さんゲームデザインのボードゲーム。株のインサイダー取引は、画期的システムだった。
[13]『いただきストリート2』
1994年発売のパート2。BGMは筒見京平。このゲームのために30曲以上が書き下ろされている。
[14]『タワードリーム』
1996年発売の、吸収合併を繰り返すボードゲーム。いくつもの会社が乱立して、会社同士が接したときに、弱小の方が潰れていく。
[15]『天空のレストラン』
2000年発売の、素材を集めて料理を完成させていく戦略ボードゲーム。素材次第では闇料理になったり、天空料理になったりする。
[16]荒井さん
本名、荒井清和、愛称、キヨマー。『オホーツク』のグラフィックデザインや『いただきストリート』のキャラクターデザインを担当。
[17]火曜サスペンス劇場
1981年から日本テレビ系でスタートした2時間枠のサスペンスドラマ。通称、火サス。第1回放送は、松本清張の『球形の荒野』だった。
[18]サイバー佐藤
佐藤英人さん。桜玉吉の親友。『ファミコン通信』スタート時からの制作デザイナー。
[19]TACO.X
二木康夫くん。以前はゲームフリーク所属。ゲームの腕も立って原稿も書ける、『ファミコン通信』の貴重なスタッフ。
[20]HSP事業部
この頃アスキー内のコンシューマーゲームを扱う部署が、こんな部署名に名称変更していた。
[21]小島さん
小島文隆さん。月刊ログイン3代目編集長、ファミコン通信初代編集長。2015年没。
[22]藤井副局長
藤井章夫さん。当時の出版局副局長。長い間アスキー出版局を支えた長老的存在。出版界では卓越した経験と人脈を持つ。
[23]アルト鈴木
ログイン時代からのゲーマー兼編集者、鈴木弘明くん。『オホーツクに消ゆ』では、最初から最後までデバッガーに徹してくれた。
[24]めぐみのヌードシーン
『オホーツクに消ゆ』のヒロイン・中山めぐみが、和琴温泉でバスタオルを取って、ヌードを見せてくれるという裏コマンドがあった。
この生誕秘話の元となった書籍『198Xのファミコン狂騒曲』(SBクリエィティブ)は、Amazon他で予約することができます。
全部で396ページほどの書籍ですが、この生誕秘話はそのうち51ページぶんで全体の13%弱にあたります。
『198Xのファミコン狂騒曲』では『ファミコン通信』創刊秘話や、堀井雄二さんと作った『いただきストリート』など、 さまざまなエピソードが語られています。興味のある方は、ぜひご一読ください。
全部で396ページほどの書籍ですが、この生誕秘話はそのうち51ページぶんで全体の13%弱にあたります。
『198Xのファミコン狂騒曲』では『ファミコン通信』創刊秘話や、堀井雄二さんと作った『いただきストリート』など、 さまざまなエピソードが語られています。興味のある方は、ぜひご一読ください。