この生誕秘話は、8月31日発売予定の『198Xのファミコン狂騒曲』(SBクリエィティブ)から 『オホーツクに消ゆ』関連の挿話だけを抜粋し、筆者自ら加筆・修正ののち再構成したものです。
『198Xのファミコン狂騒曲』より
塩崎剛三〈東府屋ファミ坊〉
ロケハンの記事「オホーツクに消ゆ[1]、制作スタート!」は11月に掲載予定だったので、東京に着いてから比較的すぐの締め切りだった。ロケハンのポジフィルム[2]が上がってきた次の日に堀井さん[3]に連絡を取って、記事で使う写真たちのチョイスを始める。
記事にはなるべく多くのビジュアルを使って、ロケハン感を出そうということになっていた。まず記事に使えそうなポジフィルムをどんどん選んでいって、レイアウト用紙に大体のプロットを書いていく。で、そこに当てはまるポジフィルムを乗せていって、不足分はさらにストックから探し、過剰分は不使用袋にどんどん入れていって。
8ページの記事だったので、ポジフィルムを選ぶだけでも大変だった。夕方から始めた僕たちは、近くの洋食屋さんでカツライスを食べて、もう一回編集部に戻ってラフレイアウトを切る作業をしたのだった。
たっぷり終電まで作業をして、堀井さんは完成したラフレイアウトをコピーして持って帰っていった。レイアウトが完成するまでに、おおよその記事の方向性を決めておきたいらしい。
ログイン編集部[4]的には、まずこの「制作スタート!」の記事が欲しかったわけで、ゲームができるかどうかは二の次だった(少なくとも、最初に発売予定のパソコンゲームはそうだった。ファミコン版は当然のことながら違う)。
シナリオハンティングまでしてゲームを作っていくというプロセスは、当時のパソコンゲーム界では斬新だったし、それを仕掛けるのが『ポートピア連続殺人事件』[5]の作者となれば、話題になることが約束されていた。
「制作スタート!」の記事は、このあと「制作快調!」と続いて「完成間近!」となる予定だった。
堀井さんもあらかじめそのことは了解済みで、3回の『ログイン』の記事と、ゲームシナリオの完成が堀井さんのタスクなのだった。
3回分書くということが決まっているわけで、ポジフィルムも3回分選んでおいた方が効率的だったんだけど、さすがに1回分だけで疲れてしまったので、
「今度は今度でまた選びましょう」
ということになった。まあ、それはそうだろう。冷静に考えれば、2回目のロケハン記事よりも、シナリオ制作に本当に取りかかってもらう方が先だった。
東京編のシナリオは、それから1か月しないうちにあがってきた。
「どうです? 次から北海道編になるんだけど、ここですべての要素を入れたんだよね。東京を作っちゃえば、北海道もできる、みたいな」
「なるほど。コマンドとか分岐とか、そういうやつですね」
『オホーツクに消ゆ』はパソコンアドベンチャー初のコマンド選択型システムに挑戦しようとしていたのだった。文字入力ではなくてコマンド選択にしようということは、北海道をロケハンしている間に、ほぼ決定していた。
コマンド数とかサブコマンドとかいろいろ宿題は残ってたけど、文字入力は一切しないというルールだけは決めた(実際は和琴温泉で文字入力を要求する場面があるけど、まあそれは例外だ)。
「東京編ができれば北海道もできる」、と堀井さんは言っていたので、まずゲヱセン上野[6]に東京編のシナリオ原稿を見せることにした。
ゲヱセンと僕の関係は前の章で詳しく書いているが、ちょっと補足すると、
「絵とプログラムは別の人間をアテンドしようと思います」と堀井さんに言ったときにはゲヱセンの存在はなかったし、別のプログラマーのあてもなかった。
『ログイン』の「今月のゲーム」には多数の応募があったし、特集でも毎号複数のプログラマーが必要とされていて、その調整は主に僕の役目だったので、『オホーツク』をまかせるプログラマーに関しては、まったく心配はしていなかったのだ。
ゲヱセンにまず最初の相談を持ち掛けたのは、彼が信頼できるプログラマーであって、たまたまそのとき予定が空いていたからだった。でもその偶然が、僕やゲヱセンや堀井さんの未来設計を、ちょっとだけ動かしてしまうことになる。
「どう、できる? これで全体の10分の1ぐらい」
「たぶん大丈夫です」
試しにゲヱセンに東京編だけ作ってもらうことにする。
「パピコン[7]だよね(ゲヱセンはパピコン所有者だった)」
「できれば」
ゲヱセンは2週間ほどで東京編を仕上げてきた。堀井さんを呼んで、試作品を見せてみる。
「いいねえ。なかなかいいよ」
「ありがとうございます」
「じゃあ、こっちもはやく続きを作らないと(笑)」
たぶん、これがゲヱセンと堀井さんの初対面だった。
それから数年間で、堀井さんとゲヱセンは、ものすごく仲良しになっていった。ゲヱセンのPC-6001版東京編に刺激を受けたのか、その後堀井さんはかなり急ピッチにシナリオを仕上げていった。北海道前半の2章が出来上がるのは、あっという間だった。
堀井さんのシナリオは、PC-6001の貧弱なメモリーサイズを基準に展開されていった。全5章にシナリオが分割されているのはそのためだ。
PC-6001が一度に読み込めるシナリオの上限が、ひとつの章のマキシマムサイズなのだ。2章は知床まで、3章は知床事件解決まで。ちょうどいいコンパクトなサイズにまとめられている。
いわゆるTVの連続ドラマスタイルで、堀井さんもたぶんその方が作りやすかったのだと思う。
さらに、画面やコマンドのことも考慮して、シナリオはすべてシーン単位で管理されている。コマンドやセリフ、フラグがシーンごとに纏まっているので、先頭に各シーンのラフコンテを添えてもらうだけで、要件は完璧になった。該当シーンのイメージが一発で掴めるようになっている。
「劇画調っぽい一枚絵の感じがいいよね」
グラフィックに関してはそういったコンセンサスだったので、堀井さんのラフコンテを基本にして、グラフィック制作会社に展開していってもらう。
なにしろシーン数は50以上もあるのだ。ということは、シーンのグラフィックも50枚以上必要ということになる。
まったく劇画調の絵が50枚以上使われているアドベンチャーゲームなんて、未だかつてなかった。もし実現すれば、そういった意味でも『オホーツク』は画期的なゲームになるはずだった。
パッケージ表紙やメインキャラのイメージは、そのころ僕が『ログイン』誌上でお世話になっていて、劇画調のイラストが得意な末弥純さん[8]に依頼しようということになった。
どんどん細部が決まっていく。
PC-8801とPC-6001の2機種同時発売を考えていたので、PC-8801版は、当時『ログイン』で競馬ゲームを制作していた村井あきらくんにお願いすることに。村井くんはマシン語も扱える東大生で、プログラムセンスもなかなかのものを持っていた。
でもまあ、物事はそんなにうまく進まないものだ。応援プログラマーも2人追加したのだけど、そんなに順調にはいかなかった(当時は共有ディスクとかネットワークとか、そんな便利なものはまったくなかったので、グラフィック周りとか、フラグ管理とか、分担を決めてのプログラミングだった)。
いよいよ開発が佳境に入ってきた段階で、堀井さんとも相談して、ホテルに泊まり込み作戦を決行することになる。そうしないと、間に合わなかった。もう広告とかも打っていたし、年内には絶対に発売しなくてはならない。初回部数(初回本数)にもよるけれど、ディスクやテープとマニュアル、箱[9]だから、量産には1週間以上必要なのだ(ログイン編集部は、「ディスクログイン」や「テープログイン」などのメディア販売の経験もあったので、製作所のコネクションは持っていた)。
PC-8801グループ合計3人、PC-6001は上野くん1人の2チームで、西新宿のスターホテル泊まり込み生活が始まったのは11月末だった。期間は2週間ちょっと。
僕は夕方にホテルに顔を出して深夜に引き上げるという生活を繰り返した。堀井さんも1日おきには応援にきた。夜食生活の中で、僕は堀井さんの一番の好物が「牛丼」であることを発見したのだった。かなりディープな発見だった。
「じゃあ、みんなにも牛丼のおみやげ持っていきましょう!」
「5人分だね」
部屋のなかは、あっという間に牛丼の匂いで充ち満ちた。
PC-6001版の開発作業はとんでもなく順調で、12月頭には完成してしまった。PC-8801版がとてつもなく苦労していたので、僕はゲヱセンが神様に見えた。
「面白いね。いけるよ、大丈夫だよ」
「みんな、どのくらいでクリアーしますかね?」
「すぐ解かれちゃうと、それはそれでつまんないよね」
堀井さんもPC-6001版を何回も遊んで、それなりにいい感触をつかんだみたいだった。僕はフラグチェックのデバッグに明け暮れていたので、とてもそんなゲームを楽しむ暇はなかった(あるセリフを聞くと何処何処に行けるようになるとか、あるものを手に入れるとあそこにヒロインが登場するとか、そういった条件分岐の積み重ねで成り立っているゲームだったから、正しく動作しているかいないかは、何回も何回もテストプレイするしかないのだった)。
ゲヱセンはあっさり缶詰を解かれたけど、デバッグ作業は手伝ってくれた(実はマスター数日前に、ゲヱセンは38度の高熱でぶっ倒れてしまったのだった。まだ修正作業は残っていて、結果、ゲヱセンのマスターが一番最後になったのは、笑える話だ)。
主にPC-8801版をデバッグしながら、たまにマスターアップが近いPC-6001版も念のためにデバッグする。ひたすらゲームを続ける、そんな2週間ちょっとだった。
最後に残されたのはPC-8801グループの3人と僕だけ。お終いの1週間は、とてつもなく長かった。
ログイン編集部のアルバイト君で、市場で販売されているゲームソフトのフロッピーディスクのプロテクトを外す名人がいたので、
「どう? このプロテクト外せる?」
と『オホーツク』のPC-8801版のプロテクト外しを依頼してみた(当時は違法コピーが多く、発売メーカーはそれぞれ独自のプロテクトを施し、素人には絶対にコピー作業ができないように意匠を凝らしていたのだ)。
そのアルバイト君は、ドライバーまで持ち出して、1時間ほどトライしていたんだけど、
「大体わかりました。ドライブの回転数を微妙に変えているんですね。やってることはわかったけど、ここにあるディスクドライブじゃあ、コピーはできません。ドライブの回転数を調整しなくてはならないので、簡単ではないです」
「よし、ありがとう!」
彼が投げだすぐらいなら大丈夫だ。プロテクトは完璧だ。あとはバグさえ取れれば!
最初のロケハン記事「オホーツクに消ゆ、制作スタート!」の発表から、ちょうど1年がたとうとしていた。こんなに苦労したけど、わずか1年でゲームができたことになる。今から考えれば、嘘のような時代だった。
そして12月21日、ログインソフト第1弾の『北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ!!』が世に出ていくことになる。
評判はいいのか、悪いのか? 売れるのか、売れないのか?
年末年始を挟んで売れ行きの確認はまったくできなかったので、僕が動向を把握できたのは、発売から2週間も経過した年明けの7日だった。
記事にはなるべく多くのビジュアルを使って、ロケハン感を出そうということになっていた。まず記事に使えそうなポジフィルムをどんどん選んでいって、レイアウト用紙に大体のプロットを書いていく。で、そこに当てはまるポジフィルムを乗せていって、不足分はさらにストックから探し、過剰分は不使用袋にどんどん入れていって。
8ページの記事だったので、ポジフィルムを選ぶだけでも大変だった。夕方から始めた僕たちは、近くの洋食屋さんでカツライスを食べて、もう一回編集部に戻ってラフレイアウトを切る作業をしたのだった。
たっぷり終電まで作業をして、堀井さんは完成したラフレイアウトをコピーして持って帰っていった。レイアウトが完成するまでに、おおよその記事の方向性を決めておきたいらしい。
ログイン編集部[4]的には、まずこの「制作スタート!」の記事が欲しかったわけで、ゲームができるかどうかは二の次だった(少なくとも、最初に発売予定のパソコンゲームはそうだった。ファミコン版は当然のことながら違う)。
シナリオハンティングまでしてゲームを作っていくというプロセスは、当時のパソコンゲーム界では斬新だったし、それを仕掛けるのが『ポートピア連続殺人事件』[5]の作者となれば、話題になることが約束されていた。
「制作スタート!」の記事は、このあと「制作快調!」と続いて「完成間近!」となる予定だった。
堀井さんもあらかじめそのことは了解済みで、3回の『ログイン』の記事と、ゲームシナリオの完成が堀井さんのタスクなのだった。
3回分書くということが決まっているわけで、ポジフィルムも3回分選んでおいた方が効率的だったんだけど、さすがに1回分だけで疲れてしまったので、
「今度は今度でまた選びましょう」
ということになった。まあ、それはそうだろう。冷静に考えれば、2回目のロケハン記事よりも、シナリオ制作に本当に取りかかってもらう方が先だった。
東京編のシナリオは、それから1か月しないうちにあがってきた。
「どうです? 次から北海道編になるんだけど、ここですべての要素を入れたんだよね。東京を作っちゃえば、北海道もできる、みたいな」
「なるほど。コマンドとか分岐とか、そういうやつですね」
『オホーツクに消ゆ』はパソコンアドベンチャー初のコマンド選択型システムに挑戦しようとしていたのだった。文字入力ではなくてコマンド選択にしようということは、北海道をロケハンしている間に、ほぼ決定していた。
コマンド数とかサブコマンドとかいろいろ宿題は残ってたけど、文字入力は一切しないというルールだけは決めた(実際は和琴温泉で文字入力を要求する場面があるけど、まあそれは例外だ)。
「東京編ができれば北海道もできる」、と堀井さんは言っていたので、まずゲヱセン上野[6]に東京編のシナリオ原稿を見せることにした。
ゲヱセンと僕の関係は前の章で詳しく書いているが、ちょっと補足すると、
「絵とプログラムは別の人間をアテンドしようと思います」と堀井さんに言ったときにはゲヱセンの存在はなかったし、別のプログラマーのあてもなかった。
『ログイン』の「今月のゲーム」には多数の応募があったし、特集でも毎号複数のプログラマーが必要とされていて、その調整は主に僕の役目だったので、『オホーツク』をまかせるプログラマーに関しては、まったく心配はしていなかったのだ。
ゲヱセンにまず最初の相談を持ち掛けたのは、彼が信頼できるプログラマーであって、たまたまそのとき予定が空いていたからだった。でもその偶然が、僕やゲヱセンや堀井さんの未来設計を、ちょっとだけ動かしてしまうことになる。
「どう、できる? これで全体の10分の1ぐらい」
「たぶん大丈夫です」
試しにゲヱセンに東京編だけ作ってもらうことにする。
「パピコン[7]だよね(ゲヱセンはパピコン所有者だった)」
「できれば」
ゲヱセンは2週間ほどで東京編を仕上げてきた。堀井さんを呼んで、試作品を見せてみる。
「いいねえ。なかなかいいよ」
「ありがとうございます」
「じゃあ、こっちもはやく続きを作らないと(笑)」
たぶん、これがゲヱセンと堀井さんの初対面だった。
それから数年間で、堀井さんとゲヱセンは、ものすごく仲良しになっていった。ゲヱセンのPC-6001版東京編に刺激を受けたのか、その後堀井さんはかなり急ピッチにシナリオを仕上げていった。北海道前半の2章が出来上がるのは、あっという間だった。
堀井さんのシナリオは、PC-6001の貧弱なメモリーサイズを基準に展開されていった。全5章にシナリオが分割されているのはそのためだ。
PC-6001が一度に読み込めるシナリオの上限が、ひとつの章のマキシマムサイズなのだ。2章は知床まで、3章は知床事件解決まで。ちょうどいいコンパクトなサイズにまとめられている。
いわゆるTVの連続ドラマスタイルで、堀井さんもたぶんその方が作りやすかったのだと思う。
さらに、画面やコマンドのことも考慮して、シナリオはすべてシーン単位で管理されている。コマンドやセリフ、フラグがシーンごとに纏まっているので、先頭に各シーンのラフコンテを添えてもらうだけで、要件は完璧になった。該当シーンのイメージが一発で掴めるようになっている。
「劇画調っぽい一枚絵の感じがいいよね」
グラフィックに関してはそういったコンセンサスだったので、堀井さんのラフコンテを基本にして、グラフィック制作会社に展開していってもらう。
なにしろシーン数は50以上もあるのだ。ということは、シーンのグラフィックも50枚以上必要ということになる。
まったく劇画調の絵が50枚以上使われているアドベンチャーゲームなんて、未だかつてなかった。もし実現すれば、そういった意味でも『オホーツク』は画期的なゲームになるはずだった。
パッケージ表紙やメインキャラのイメージは、そのころ僕が『ログイン』誌上でお世話になっていて、劇画調のイラストが得意な末弥純さん[8]に依頼しようということになった。
どんどん細部が決まっていく。
PC-8801とPC-6001の2機種同時発売を考えていたので、PC-8801版は、当時『ログイン』で競馬ゲームを制作していた村井あきらくんにお願いすることに。村井くんはマシン語も扱える東大生で、プログラムセンスもなかなかのものを持っていた。
でもまあ、物事はそんなにうまく進まないものだ。応援プログラマーも2人追加したのだけど、そんなに順調にはいかなかった(当時は共有ディスクとかネットワークとか、そんな便利なものはまったくなかったので、グラフィック周りとか、フラグ管理とか、分担を決めてのプログラミングだった)。
いよいよ開発が佳境に入ってきた段階で、堀井さんとも相談して、ホテルに泊まり込み作戦を決行することになる。そうしないと、間に合わなかった。もう広告とかも打っていたし、年内には絶対に発売しなくてはならない。初回部数(初回本数)にもよるけれど、ディスクやテープとマニュアル、箱[9]だから、量産には1週間以上必要なのだ(ログイン編集部は、「ディスクログイン」や「テープログイン」などのメディア販売の経験もあったので、製作所のコネクションは持っていた)。
PC-8801グループ合計3人、PC-6001は上野くん1人の2チームで、西新宿のスターホテル泊まり込み生活が始まったのは11月末だった。期間は2週間ちょっと。
僕は夕方にホテルに顔を出して深夜に引き上げるという生活を繰り返した。堀井さんも1日おきには応援にきた。夜食生活の中で、僕は堀井さんの一番の好物が「牛丼」であることを発見したのだった。かなりディープな発見だった。
「じゃあ、みんなにも牛丼のおみやげ持っていきましょう!」
「5人分だね」
部屋のなかは、あっという間に牛丼の匂いで充ち満ちた。
PC-6001版の開発作業はとんでもなく順調で、12月頭には完成してしまった。PC-8801版がとてつもなく苦労していたので、僕はゲヱセンが神様に見えた。
「面白いね。いけるよ、大丈夫だよ」
「みんな、どのくらいでクリアーしますかね?」
「すぐ解かれちゃうと、それはそれでつまんないよね」
堀井さんもPC-6001版を何回も遊んで、それなりにいい感触をつかんだみたいだった。僕はフラグチェックのデバッグに明け暮れていたので、とてもそんなゲームを楽しむ暇はなかった(あるセリフを聞くと何処何処に行けるようになるとか、あるものを手に入れるとあそこにヒロインが登場するとか、そういった条件分岐の積み重ねで成り立っているゲームだったから、正しく動作しているかいないかは、何回も何回もテストプレイするしかないのだった)。
ゲヱセンはあっさり缶詰を解かれたけど、デバッグ作業は手伝ってくれた(実はマスター数日前に、ゲヱセンは38度の高熱でぶっ倒れてしまったのだった。まだ修正作業は残っていて、結果、ゲヱセンのマスターが一番最後になったのは、笑える話だ)。
主にPC-8801版をデバッグしながら、たまにマスターアップが近いPC-6001版も念のためにデバッグする。ひたすらゲームを続ける、そんな2週間ちょっとだった。
最後に残されたのはPC-8801グループの3人と僕だけ。お終いの1週間は、とてつもなく長かった。
ログイン編集部のアルバイト君で、市場で販売されているゲームソフトのフロッピーディスクのプロテクトを外す名人がいたので、
「どう? このプロテクト外せる?」
と『オホーツク』のPC-8801版のプロテクト外しを依頼してみた(当時は違法コピーが多く、発売メーカーはそれぞれ独自のプロテクトを施し、素人には絶対にコピー作業ができないように意匠を凝らしていたのだ)。
そのアルバイト君は、ドライバーまで持ち出して、1時間ほどトライしていたんだけど、
「大体わかりました。ドライブの回転数を微妙に変えているんですね。やってることはわかったけど、ここにあるディスクドライブじゃあ、コピーはできません。ドライブの回転数を調整しなくてはならないので、簡単ではないです」
「よし、ありがとう!」
彼が投げだすぐらいなら大丈夫だ。プロテクトは完璧だ。あとはバグさえ取れれば!
最初のロケハン記事「オホーツクに消ゆ、制作スタート!」の発表から、ちょうど1年がたとうとしていた。こんなに苦労したけど、わずか1年でゲームができたことになる。今から考えれば、嘘のような時代だった。
そして12月21日、ログインソフト第1弾の『北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ!!』が世に出ていくことになる。
評判はいいのか、悪いのか? 売れるのか、売れないのか?
年末年始を挟んで売れ行きの確認はまったくできなかったので、僕が動向を把握できたのは、発売から2週間も経過した年明けの7日だった。
[1]オホーツクに消ゆ
1984年発表の堀井雄二作のアドベンチャーゲーム。ログインソフト第1弾。コマンド選択式を初めて採用し、『ポートピア連続殺人事件』、『軽井沢誘拐案内』とともに、堀井ミステリー三部作と呼ばれている。
[2]ポジフィルム
一般家庭などではネガフィルムが一般的だが、出版社ではポジフィルムで印刷所に渡すのが通例だった。ネガフィルムで渡すと1工程多くなり、費用もかかるので、写真はすべてポジフィルムで撮影していたのだ。レイアウトの段階でポジフィルムをコピーしてレイアウト用紙に貼り付けたり、用途は多彩だった。
[3]堀井さん
堀井雄二さん。『ドラゴンクエスト』シリーズの作者として、あまりにも著名。愛称は「ゆう坊」。
[4]ログイン編集部
僕がアスキーに入って、最初に所属した編集部。3冊の季刊誌刊行の後『月刊ログイン』を1983年より刊行。
[5]『ポートピア連続殺人事件』
堀井ミステリーシリーズの第1作。「犯人はヤス!」のフレーズは、みんな知っている。
[6]ゲヱセン上野
上野利幸くんの愛称。ゲーマーであり、プログラマーであり、編集者であり、作曲家でもある。彼とは長い付き合いになった。
[7]パピコン
NECのパソコン、PC-6001のこと。「パピコン」はその愛称。1981年発売。9万円を切る低価格マシンで、音楽機能が充実していた。
[8]末弥純さん
『月刊ログイン』ではほぼ毎号、イラストを発注していた。『ウィザードリィ』関連のモンスターデザインは、絶大な人気がある。
[9]ディスクやテープとマニュアル、箱
当時のゲームソフトは紙製の硬い箱に入っているタイプが一般的。箱の中には、フロッピーディスク(5インチ)かカセットテープと、16ページ程度のマニュアルが入っていた。
1984年発表の堀井雄二作のアドベンチャーゲーム。ログインソフト第1弾。コマンド選択式を初めて採用し、『ポートピア連続殺人事件』、『軽井沢誘拐案内』とともに、堀井ミステリー三部作と呼ばれている。
[2]ポジフィルム
一般家庭などではネガフィルムが一般的だが、出版社ではポジフィルムで印刷所に渡すのが通例だった。ネガフィルムで渡すと1工程多くなり、費用もかかるので、写真はすべてポジフィルムで撮影していたのだ。レイアウトの段階でポジフィルムをコピーしてレイアウト用紙に貼り付けたり、用途は多彩だった。
[3]堀井さん
堀井雄二さん。『ドラゴンクエスト』シリーズの作者として、あまりにも著名。愛称は「ゆう坊」。
[4]ログイン編集部
僕がアスキーに入って、最初に所属した編集部。3冊の季刊誌刊行の後『月刊ログイン』を1983年より刊行。
[5]『ポートピア連続殺人事件』
堀井ミステリーシリーズの第1作。「犯人はヤス!」のフレーズは、みんな知っている。
[6]ゲヱセン上野
上野利幸くんの愛称。ゲーマーであり、プログラマーであり、編集者であり、作曲家でもある。彼とは長い付き合いになった。
[7]パピコン
NECのパソコン、PC-6001のこと。「パピコン」はその愛称。1981年発売。9万円を切る低価格マシンで、音楽機能が充実していた。
[8]末弥純さん
『月刊ログイン』ではほぼ毎号、イラストを発注していた。『ウィザードリィ』関連のモンスターデザインは、絶大な人気がある。
[9]ディスクやテープとマニュアル、箱
当時のゲームソフトは紙製の硬い箱に入っているタイプが一般的。箱の中には、フロッピーディスク(5インチ)かカセットテープと、16ページ程度のマニュアルが入っていた。
この生誕秘話の元となった書籍『198Xのファミコン狂騒曲』(SBクリエィティブ)は、Amazon他で予約することができます。
全部で396ページほどの書籍ですが、この生誕秘話はそのうち51ページぶんで全体の13%弱にあたります。
『198Xのファミコン狂騒曲』では『ファミコン通信』創刊秘話や、堀井雄二さんと作った『いただきストリート』など、 さまざまなエピソードが語られています。興味のある方は、ぜひご一読ください。
全部で396ページほどの書籍ですが、この生誕秘話はそのうち51ページぶんで全体の13%弱にあたります。
『198Xのファミコン狂騒曲』では『ファミコン通信』創刊秘話や、堀井雄二さんと作った『いただきストリート』など、 さまざまなエピソードが語られています。興味のある方は、ぜひご一読ください。